2020年11月、広島に帰りました。
知らん電車がいました。5200に倣って乗車ドアの上にLCD積んでいるみたいですね。
ぼくが住んでいた頃は1010かそこらまでしかいなかったのに今や800形と1900形を越えて市内最多勢力、恐ろしい子。
翌日
鞍馬っていうと江波の車のイメージが強いんですがこの日は3号線でした。もしかしたらずっと千田にいるのかもしれません。車両の動向わからん。
806の幕が知らんことになってました。単車がLEDになるなんて隔世の感あります。でも白色にはならないんですね。
この車両も江波のイメージなのに3号線、もう車両わからん。
こいつも知らん車両。大昔は車両別に〇号線で撮影したかを記録していたんですけど、そんなことももう無理そうです。だいたい日常的に見ている(変なのを拾いやすい)わけじゃないんで。
こいつは知っている車両。昔から千田にいるのでそれなりに乗っている。江波を走れば大事件。江波の570で最後まで残った584をほとんど知らないので大事件。
で、しばらくしてからお呼ばれされたので中に入ることに。
ぼくが広島にいる間江波から出てこなかった不届きな電車を見に行きました。空の下で見たのは初めて。
どっかの大学鉄研が部品盗んだかなんだかで車庫が全面出禁になるよりもはるかに昔、300円で黄緑の磁気カードを持って一人江波車庫に入らせて貰った時、この車両の中に入らせていただいたことがあります。650よりも強烈なニスの匂いと照明の落ちてホコリのたまった室内。記憶がよみがえってきました。戸袋のところに椅子がなくて不思議だったのを覚えています。
ご存じ、広島瓦斯電軌のロゴマーク。戦後に車体更新してる以上この車体とこのロゴの組み合わせは無いはずですが、それを言うのはナンセンス。
広告枠。あまり古い車両の当時の車内写真を見た記憶がないのですが、実際にどういう広告があったんでしょうかね。そう思うと車内広告のスナップも後世に必要な気もします。
僕にしては珍しく、お天気が良かったです。本社の影がすぐ手前まで迫ってきているところですが。
すごかったです。なぜ100周年でやらなかった
次外に出てくるのは50年後でしょうね。