新しい風に乗って

駅を訪問したり保存車を訪問したりする方のブログです。

202305GW訪欧記⑥:ウィーンを徘徊し、夜行に連泊する。

前回の続き

setoutivrm.hatenablog.com

 

最初から見る場合はこれ

setoutivrm.hatenablog.com

 

クシェットは狭かった。三段寝台の中段はベッド解体時に椅子の枕部分になる出っ張りに空間を占められており、鞄を枕元に置かざるを得なかった。これが上段であれば通路の上の空間に、下段であればベッドの下に置けるため、中段だけの問題のようだ。しかし、私は横にさえなれれば寝ることができる人間で、こんな狭い環境でもぐっすりと眠ることができた。

 


目が覚めると窓のカーテンが開けられていた。時計を見ると8時半ごろの様子。今がどの場所にいるかを見ようと携帯を開くと、SMSでオーストリアの電波を掴んだ通知が残されていた。どうやらオーストリアの国内にはいるらしい。しかし走行中の列車から継続的に電波を掴むことはむずかしく地図を開くことができない。自分の居場所はわからなかった。
30分ぐらい走って駅に止まった。Linz Hbfという駅だった。携帯でこのnightjetの時刻表を調べ、現在時刻と予定到着時刻の比較をした。というのも、このnightjet線路工事の影響で遅れるかもしれないということを予め知らされていた。どうやら1時間程度遅れているらしい。とすればウィーン到着は10時前後。幸いにもこの日はウィーン市街地を徘徊するだけである。遅れて滞在時間が減るのは残念だが、寝台列車に長居ができると考えれば釣り合う遅れだった。

三段寝台ではベッド上で胡座をかくことすら不可能だった。横になりながら車窓をしばらく眺めていると、昨晩検札に来た車掌が朝食を持ってきてくれた。嬉しいことにnightjetではクシェットでも朝食のサービスがついてくる。睡眠と移動と朝食込みでユーレイルパスに15ユーロ程度で乗れるのであるから非常にありがたいものである。

朝食はパンとコーヒーだった。パンにはバターとジャムがついていた。バターはともかく、ジャムは非常に小さな瓶に入っており、配られた什器ではうまいこと掬うことができなかった。そもそも起き上がることができないほど狭いのでうつ伏せになりながら朝食を食べる格好だ。

食器は使い捨てではないしっかりしたものだった。寝ころんだままという慣れない姿勢で食べたあと車掌に返しに行った。

10時頃。その車掌が紙ペラの寝台券を返しに来た。地図を見ればウィーンも近い。荷物を簡単にまとめて通路に陣取ることにした。日本のそれと異なり通路には折りたたみの補助椅子は無かった。あそこから景色を眺めるのが楽しいのだけれども。だからスタンディングで見るしかない。長編成だ。

 

ウィーンに着いた。Hbfは新しい高架駅だった。元々は東西両方向からの頭端式ホームがあったらしいが、それを全部更地にして通過形の新駅を作ったらしい。日本で例えれば西武新宿と小田急新宿を廃止して大ガードのあたりに新宿中央駅を作るようなものだろうか。

さて、ウィーンは音楽の都であるとともに、路面電車が市内に張り巡らされている街でもある。駅前にも当然走っている。一時は高知県にある土佐電気鉄道(→とさでん交通)でウィーンの車両を譲り受けて走らせるつもりだったらしいが、車体だけ高知にやってきて竣工せずに終わったらしい。

特に私が見たかったのがこのULFという車両だ。この車両は車内の床の高さが地上から180mmしかないらしい。昨今のバリアフリー、ノンステップ化のために日本でもメーカーが切磋琢磨して床の高さを下げているがそれでも350mm程度なの、ULFはその半分の高さなのだ。電停に限らず地面からも直接楽に乗ることができる。というか、恐らくヨーロッパ他都市と比較してもかなり床の低い部類である。なんでも、連接部分に一軸の独立車輪を設置してるらしい。日本で走ろうものなら即座にイモムシ認定されるだろう。

 

とりあえず切符を買って市内中心部に向かう。券売機でフリー切符を買うと24時間券になってしまうようだが、そこまで滞在しないのでモバイルチケットを購入した。モバイルチケットの場合は有効日はその日限り、料金も若干安かった。

地下鉄に乗ってStephansplatzへ。駅の上に大聖堂があった。どうやって工事をしたのだろうか?

この大聖堂の近くに日本で見覚えのある人間がいた。彼は自分のことをtrafyと称し、このゴールデンウィークチェコオーストリアを徘徊しているらしい。ウィーンにも数日滞在するらしく、私の訪問する日に折角だからと同伴してきた。2ヶ月前に集団で韓国に行ったのが人生初の海外旅行らしいが、その次が一人でヨーロッパ、それも東欧というのはなかなかな行動力だと思う。彼は彼で旅行記を書いているので紹介しよう。

serialtrafy.hatenablog.com

ちなみに彼のブログは本日(2023年6月15日)時点でウィーン空港にようやくついたところだ。がんばれ。

 

合流してまずはホテルザッハーの甘味。ザッハ・トルテを食べたいと思った。ホテルザッハーは幸いにもこの大聖堂から徒歩圏内。歩いて向かうことにした。しかし現地には多くの人が並んでいたので断念した。やはり世界的な観光地なのだ。

それならばと電車活動に切り替え、近くのOper電停から気になっていた電停のSchottentorに向かう。

 

Schottentor

この電停は結構な拠点だった。

西方面から来た系統と、北西方面から来た系統がそれぞれこの電停でループ線として折り返していく。しかしそれぞれが独立しており、上下2層の電停になっている。それを外から視認できる。なかなかな構造だった。

地下に乗り場があるので、当然見上げることもできる。タイミングがよければ写真右上の明るい地上部分にもULFが走ることになる。また、左下の部分が電停になるが、見てわかる通り殆ど段差が無い。床面高さが低すぎるおかげで乗り場をかさ上げしなくてもいいのだ。

近くにJRがあった。

 

nightjetのウィーン到着が遅かったこともあるが、この時点で昼時。私はウィーンの食事事情については詳しくないが、どうやらヴィーナ・シュニッツェルといううまい料理があるとのこと。どちらかといえばOper電停のほうが店が多そうだからと、来た道を戻った。

 

その途中、ULFの車内で抜き打ち検札に出くわした。目の前に乗ってきた銀のジャケットのおっちゃんが唐突に内側から社員証のようなものを取り出して検札を始めたのはびっくりした。ここで有効な切符を提示できない場合、あるいは切符を持っていても有効化できていない場合は即高額の罰金となる。私の場合はモバイルチケットなので携帯画面を見せることで検札となった。

そのおっちゃんは本当に我々のいた1車体(長さ5m程度しかない)のみ検札をしてすぐに次の電停で降りていった。きっと次の列車で同じように検札をするのだろう。

 

Operに戻ってきた。これはE2という車両で、これもULF同様にたくさん見かけた。ただフレキシティという新型車両に今後数年で置き換えられていくらしい。このE2より少し古いE1という形式は訪問数か月前に退役していた。

ちなみにそのE1という車両はハノーファー路面電車博物館に展示されていた。

 

ウィーン市電には少し変わった路線がある。それがこの青い車体のバーデン線で、ウィーンから近隣のバーデンまでを専用軌道で走るインターアーバン的な路線なのだが、そのまま路面電車線に乗り入れてウィーン中心部のOperまで乗り入れてくるのである。日本で例えるなら広電の宮島線が別の会社で運営しているようなものに近い。市内区間の切符は共通のようだ。

5車体の連接車が2本連結でやってくる。ウィーン市電の車両は終着駅で必ずループ線を使って方向転換するため、片運転台で進行方向左側には客用ドアが存在しない(3つ上のE2の写真が分かりやすい)が、バーデン線はウィーン側こそループ線で方向転換するもののバーデン側で運転台を変えて折り返すらしく、両運転台、そして両側面にドアがついている。

この車両はバーデン線の最新型。交差点を右左折するときに標識灯がウィンカーになるようだが、同行者はどうもこのデザインは左右のバランスが悪くなるとか何とかで不満そうだった。

 

ヴィーナ・シュニッツェルにありついた。地場のビールと共に頂く。胃もたれしそうな見た目であるが、思っていたほどさっぱりした油で、またレモンの酸味の塩梅がとてもよく、簡単に平らげることができた。思えばヨーロッパに来てから普通のレストランに入ったのは初めてな気がする。それまではテイクアウトばかりだった。

 

www.bistro59.at

線路際の店で窓側に割り当てられたので窓の外には常に電車が走っていて気持ちが良かった。さすがに店の中で一眼を振り回すことはしなかった。

 

 

Karlsplatzから地下鉄に乗り、次の目的地へ。

Margaretengürtelだ。詳しくは以下の動画の10:15ぐらいを見てほしい。所謂、聖地巡礼である。

www.nicovideo.jp

 

ちなみにウィーン・マルガレーテというキャラクターがラブライブに生まれたらしい。この駅が極東アジア人の聖地巡礼対象として君臨するのはまだまだ続きそうである。

 

駅からすこし東に向かうと、地下鉄を俯瞰する場所があった。どことなく東京山手線内の中央線の雰囲気を感じる。水面と軌道の差があまりなさそうだが、増水することは無いのだろうか?

 

暫く滞在の後、またも路面電車で移動。Mariahilfer Gürtelについた。Gürtelというのは環状道路という意味があるようだ。ここでまたも地下鉄を俯瞰。ウィーンの地下鉄は2種類あるようで、こちらは架線があるほか、車両も路面電車を高床にしたような小型車両だった。

ちなみにこれがULFの床の低さである。

 

一度ウィーン西駅に寄った後、Wien Meidlingへ。同行者はrailjetが見たいらしく、少し雨模様のなか駅に滞在した。改札が無いので駅も入り放題である。

天気はともかく、整った見た目である。客車と機関車のデザインパターンを揃えているのがいい。railjetの一部には側面に小さく「Spirit of ○○」と表記されているものがあるが、これには無かった。全てついているものだと思っていた。

 

一般列車も停車する。これはディーゼル機関車だが、どことなく北海道の貨物機関車(DD200)の雰囲気がある。そして奥の方の客車が結構な凸凹編成、編成途中に機関車が追加されていた。

 

先のバーデン線もこのあたりで専用軌道になるようで、このあたりでちらりと見物。この100形が上の方で掲載した新車に置き換えられるらしい。見れてよかった。

 

Matzleinsdorfer Platzへ。ここは地下駅で、しかも地下に3分岐があるけったいな構造。いろんな方向から車両が見ていて飽きない。ちなみにこれもまたバーデン線で300形?というらしい。

 

 

ここでまたも鉄道に乗り継ぎ、しばらくrailjetを見た後、1区間だけ列車に乗ってhbfへ。たまたま乗り合わせた車両に車掌がいたのでドア扱いを見物した。基本的には運転席の後方確認ミラーでドアを一斉に開閉するようで、車掌は何をするかというと、キーをドア横に差し込むことでそのドアだけ個別に扱えるようだ。

・車掌がキーを使い至近のドアを開ける→運転士がそれを確認しドア開操作する

発車の際は逆の手順で、キーをさしこんでいるドアは勝手に閉まらないようだった。

 

Hbfに戻ってきたが、ここで買い物をした。近くに電気街があり、同行者は充電ケーブルを、私は変換プラグの追加購入を目論んでいた。

www.1100columbus.at

 

このビルでCタイプからAタイプへの変換プラグを買った。これによってカメラと携帯を平行で充電できるようになった。同行者は充電ケーブルを結局買わなかった。なんなんや。

 

その後、駅で飲料を購入。見てみると硬水しかない。ハノーファーのスーパーではvolvicが売っていたので軟水調達も容易だったが、ここはほぼすべて硬水だった。割となじみの深いevianを買った。同行者はここでお土産にしたいほどの珍しいビールを見つけたらしく、熟考した末で購入していた。液体なので復路の機内に持ち込めず、預入荷物として持って帰ることになるが、その預け入れ用のカバンも後日調達するらしい。この辺りの顛末はきっと本人が書いてくれるだろう。

 

続けてバーガーキングで簡単な食事。0.5ユーロの割引券があったが、これは同行者に譲った。ちなみにこの0.5ユーロの割引券は駅のトイレで獲得したものである。有利用トイレで入場時に1ユーロ徴収されるが、その時に0.5ユーロ分の駅で使えるバウチャーを受け取ることができるのだ。このhbfのトイレはクレカ決済もできた。本当に少額決済までクレカなのだ。

 

駅のホームに上がると見慣れない客車がいた。形式を見ると、ルーマニアハンガリーの客車が併結していた。右側がルーマニアで、左側がハンガリー。1000kmも離れた先まで国際列車で移動できるというのもうらやましいものである。

ようやくSpiritのあるrailjetと巡り合うことができた。これはSpirit of Germanyだ。GrazやInnsbruck、Salzburgみたいな都市単位のスピリットだと思ったらドイツという結構幅の広いスピリットだった。割と適当なのかもしれない。

 

現地時間の19時53分。今宵の宿がやってきた。今宵乗るのもnightjetの3段寝台、クシェットだ。夜行列車に連泊するので衛生的ではないが、あと1日の辛抱である。それにしてもターミナル駅に推進運転で、それもヨーロッパにありがちな運転台付き客車ではなく純粋な客車で入ってくるというのは上野駅のそれを見るようで刺さるモノがある。寝台列車バンザイなら今すぐヨーロッパ行きの航空券を買うといい。

 

案内板に注目してほしい。ハンブルグ行きとアムステルダム行きとブリュッセル行きの3列車併結運転である。きっと深夜に切り離されてそれぞれの方向に向かうのだろう。その分列車は20両近くあり長いホームをいっぱいまで使って停車していた。

10時間ほど同行したtrafyなる人間とはここでお別れ。単身夜行列車に乗り込みウィーンを発った。この日は下段。コンセントが手元にあり、ベッドの下にリュックサックを放り投げることができることを目論んで予約した。

 

検札を受け、数駅停車したら同区画の6人がそろった。一人はコンパートメント単位で締め切りたかったようで、暗闇の中扉を施錠していた。他の乗客には口頭で説明していたが、恐らく言語の通じないと判断された私には実演で見せてくれた。言語が通じないのは正解だ。

 

上段の客の手によって室内灯が落とされ、21時過ぎにして就寝モード。目が覚めたらまたドイツに入国していることだろう。客車の静かな走行音と心地よい揺れを受け、すぐに意識が遠のいていった。

 

 

続き

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