青森の人には申し訳ないのだが、青森駅というのは個人的には途中駅の印象が強い。駅は行き止まりなんだけれども。
新幹線の開業する前、東北本線にしろ、奥羽本線にしろ、18切符や北海道・東日本パスではるばる在来線を北上してきた身分としてみれば、確かに青森駅は終点ではある。けれども、ここに滞在するなんてことはなかった。多くても駅の滞在は1時間程度、必要な物資を調達して次の列車に乗り換えていくだけだった。それがスーパー白鳥であり、はまなすだった。
続きを読む新幹線の開業と同時に生まれる並行在来線、その出資元が都道府県であるからか、県ごとに会社が作られるのがセオリーだ。(肥薩おれんじ鉄道という例外もある)そのため、隣県の並行在来線会社との境界駅は、必然的に県境近くの駅となる。
ここで、県境というのは基本的に山や海、河川といった自然地形の上にできるものだ。人間の往来が難しければ、その手前と奥で文化や世俗というのも大きく変わってくる、ゆえに何かしらの境が生まれてしまうわけだ。
IRいしかわ鉄道とあいの風とやま鉄道、旧北陸本線を石川県と富山県で分割した時の境界駅はこの倶利伽羅駅となった。倶利伽羅峠という言葉があるように、平野から離れた、峠の手前の駅である。
続きを読む智頭土師那岐
智頭土師那岐
思わず口に出したくなるようなとても語呂の良い3駅、その中の3駅目、那岐。
因美線の智頭~津山は陽陰連絡のメインルートから外れて放置プレイされた恩恵か、いろんなところに古い駅舎が大変よく残っている。この那岐に限らず、隣の美作河井、さらにその先の知和だってそう。その中であえて那岐をピックアックした理由、それは上記2駅よりもマイナーな気がするからだ。
今でこそローカル輸送に徹しているが、かつては岡山と鳥取を結ぶ急行列車が走っていた。この那岐の駅でも写真でわかるように交換が可能、当時はまだテクノロジーとは程遠い時代のことである。ゆえに通票、いわゆるタブレットの通過授受が行われていた駅でもある。しかしどうしてだろう、この駅でのタブレット通過授受というと妙に不安に感じてしまう。タブレットは駅員が持っているか、あるいは駅のスタンドに据え付けられているはずなんだが、何故か脳裏に落下する光景が目に浮かんでしまう。
続きを読む島式ホーム1本に上り下り1線、さらにその外側に通過線を持つ駅、これは特急街道の風格ですわ。
東武日光線は今でこそJRに直通して新宿や場合によっては八王子から客を運んでいるものの、その昔は国鉄とバチバチに客の取り合いをして、国鉄が準急に特急の設備とそん色ない157系という豪華な車を入れたかと思えば、東武はデラックス・ロマンスカーという車内にジュークボックスがつくようなバケモン設備を持つ特急車を入れて張り合う情勢だった。
そりゃ何でもかんでも特急優先、特急至上主義、普通列車なんてたかが知れている、そんな思想もあってか、通過線のある駅も多く用意していった。この辺りは今でも近鉄の伊勢・鳥羽・志摩線もかなり似たことをやっている。
しかし、今でも1時間に5本~6本特急を通してしまうこともある近鉄と比べ、東武は多くても3本。普通列車の数も減り、果たしてそんな退避駅は必要なんだろうか、その答えが1枚目である。そもそも、この写真がどこから撮られたか、そして真ん中の線路は何故架線が貼られていないのか。妙にさび付いているのか、そういうことである。
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